THE BOOM との出会い


(1月17日初書き込みを一部変更の上、転載)

私とTHE BOOM との出会い・・・
一番最初に「それ」と知った出会いは、大学時代に友人がカラオケで歌った「島唄」。
おそらく当時はそれなりに流行っていたのだろうけど、当時の私はバリバリのJazzFleekだった為に、
J-POP(当時はこんな言葉もなかったが)については全く関心がなかったが、その中でも一種の
カルチャーショックを受ける。
しかしその後ファンになる事もなく、そのまま月日だけが過ぎていった。
(もっとも後で思い返してみると、歌手名を知らないまでも「いいなぁ」と何となく覚えていた曲・・・
それが「星のラブレター」【FM802開局当時ぐらいのヘビーローテーションでしょっちゅう流れていた】と
「真夏の奇蹟」だったりするので、それなりに縁があったのかも知れない、と思います)

そしてそれから3年後・・・彼らと再び会う事になる。それもライブで。
当時神戸の長田に勤務していたが、あの阪神大震災の被害をかなりまともに受けていた(私の事務所のビルは無事でしたが)。
事務の後処理や新規開拓に追われる毎日で、かなり事務所周りの雰囲気も私自身もピリピリしていた。
そんな時にFM802で流れていた「風になりたい」があまりにタイムリーに私の心情を表していた・・・
再びの衝撃と共に、何とも言えず私の心を癒してくれるような感じをその時に受ける。
結果的にこれが決定的にBOOMERへの道を歩んでいくキッカケとなる。

そして、その年の7月(すみませんが日は忘れてしまいました)にチャリティーライブに来る事を知り、
会社を定時であがり、急いで走って聴きに行った。ただ、当時の私から見たその時のMIYAは
ハッキリ言ってめっちゃ変やった(^_^;) 過激なMC(とても昼間に喋るような内容ではなかった・・・)
に一瞬「しまった、間違えたかも・・・(失礼!)」と引いてしまったが、その後に聞かせてくれた
曲に鳥肌が立つような感動を覚えた。今ではあれが当時のMIYA流の励まし方だった、と言う事がよくわかるのだが。

それまでハッキリ言って神戸という土地が嫌いだった。家庭の事情で引っ越して来たとは言え、
それからの日々は私にとって決して楽しいとも安泰とも言えるようなものではなかったし、
「機会があれば絶対に神戸を離れて他所へ行こう」とずっとずっと考えてそして実際離れて過ごしてきた。
でも再び神戸に戻る事になり、そしてこの震災に遭い、そしてこの曲を聴いた時に
「神戸にいる事にはきっと何らかの意味があるんだ、頑張ってここで支えていかなければいけないんだ」
とある種の使命の様な事を思う様になる。

ただ、彼らの曲はものすごくジャンルが広いので、全てがものすごく好きかと言うとそうでもなく、
嫌いとは言わないまでも「ちょっと私の感覚と違うかな」と思う曲も何曲かあったりする。
しかし・・・好きな曲(そして私の感覚にあった曲)には単なる詩曲綴りだけではない、それ以上
の物を感じるし、彼らの曲を聴どことなく元気が沸いてくる自分にも気付く。
(例えどんなに暗く落ち込んでいても不思議と気分がスッキリしてくるんですね)
そしてライブでは決して派手ではなくても、メンバーみんなの優しさや暖かさに触れる場面にもたくさん出逢った。
だから私はこれからも、ずっとずっと彼らから離れる事なく見守って行こう、と思っている。

『何一ついい事なかったこの街に 
涙ぬらす雲を突き抜けて行きたい
天国じゃなくても 楽園じゃなくても
あなたに会えた幸せ感じて 風になりたい』
(「風になりたい」より抜粋)




© Rakuten Group, Inc.